那覇でも大小さまざまなお祭りがあります。壺屋やちむん通り祭りに行ってきましたので、ご紹介します。
壺屋やちむん通りとは
やちむんとは沖縄の言葉で焼物のことです。1684年に琉球王府の命令により、沖縄各地に散らばっていた陶工が壺屋に集められました。その理由は「焼物に適した土が採れること」、「水が豊富だったこと」、「登り窯を設置するのに適した傾斜地であったこと」などと考えられています。
那覇は戦争の被害がとても大きかったのですが、壺屋は戦火をまぬがれたため、戦後の復興は壺屋から始まったと言われています。今でもシーサーや壺屋焼の食器などのお店や窯元が軒を連ねています。古い町並みが残る風情のある石畳の美しい道です。
イベント盛りだくさん

やちむんのお店では割引特別価格で販売されたり、ちょっとキズや焼きムラの生じてしまった品をお得な価格で販売していて、多くのお客さんでにぎわっていました。

ステージでは空手の演舞や三線の演奏、エイサーの道ジュネーなどもあります。

ポニーに乗ることもできます。

いつもは大石公園にいるヤギたちも来ていて、エサやりをすることができます。

壺屋焼物博物館はお祭りの2日間は無料で開放されています。
壺屋まーいに参加してきました
壺屋まーいとは壺屋の達人がガイドをする街歩きツアーです。集合時間の14:00に博物館前に到着するとたくさんの人が集まっていました。人数が多いので2班に分かれて町まーいへ出発することになりました。 まずは、南ぬ窯(ふぇーぬかま)です。

ここは琉球王府から拝領した荒焼(あらやち)の登り窯です。荒焼とは釉薬を使わない素焼きの焼物のことで、表面がざらざらしています。甕などを作り、水や酒、味噌や豆などを保存していました。窯はトンネル型につくられていて、傾斜の下の部分から薪を入れて熱がのぼって伝わりやすい構造になっています。沖縄県の重要文化財に指定されています。
達人のガイドは店頭にあるシーサーや家々の木々に至るまで、ただ歩いていただけではわからないことを案内してもらえました。
今回の壺屋まーいのハイライトは「新垣家(あらがきけ)」です。学芸員さんに交代して案内していただきました。ここは国の重要文化財に指定されていて、敷地の中に陶工の家と上焼(じょーやち)の登り窯、東ヌ窯(あがりぬかま)があります。上焼とは釉薬を使った焼物のことで、表面がつるつるしていて、色鮮やかなものが多いです。食器を中心に様々な日用品が作られています。
南ぬ窯は筒抜けの窯であるのに対し、東ぬ窯は7つ程の房と呼ばれる小部屋に分かれています。

部屋と部屋の境は壁で仕切られていますが、下の部分は開いていて熱が伝わるようになっていました。複数の窯元が共同で使用していて、下の房から次の房へと順に使っていました。大きな開口部から成形した器などを入れて、開口部を閉じます。薪は上の小さな丸い穴から投入し、温度を調整していました。
こちらは以前あった土で作られている窯です。

登り窯は1974年まで使われていましたが、近隣に住む人から黒煙の被害を訴えられたため使われなくなりました。2009年に大雨の影響で崩壊してしまいました。これは使わなくなったことで湿気が逃げなくなったこと、焼いた後のメンテナンスがされなくなったためとのことでした。
もともと使われていた資材を使いながら長い年月をかけて修復作業が行われ、2015年、東ヌ窯の修復作業は完了しました。ですが、一般公開するためには防災施設を作る必要があるそうです。今まで登り窯で地震などの被害にあったことはないそうです。この屋根を支えている石の柱は石を積み重ねただけで、固定されていません。修復工事の際に専門家に調査してもらっても、なぜ地震に強いのかはわからなかったそうですが、修復後の今でも石を積み重ねただけで、金具などは使われていません。先人の知恵が活かされているのですね。防災工事が完了して、通年の一般公開まではまだ数年かかる見込みだそうです。
こちらは採取してきた土から不純物を取り除くための池です。

母屋には今でも住んで生活していらっしゃるので、お祭りの2日間だけ特別に見学させていただけました。母屋は写真撮影が禁止です。重要文化財なので、「取っていいのは写真だけ、残していいのは足跡だけ」ということですので、くれぐれもきれいな陶器の破片などを拾わないようにご注意ください。